近年はパワースポット巡りや御朱印帳集めなどがブームになり、親しみを込めて神社に参拝する方も多くなってきています。この記事を読む方の中には、定期的に足を運ぶ神社がある方もいるのではないでしょうか。
本記事では、そんな神社本庁について、その歴史や取り組みについて解説していきたいと思います。
神社本庁とは
名称 | 神社本庁 |
住所 | 〒151-0053 東京都渋谷区代々木1-1-2 |
公式サイト | https://www.jinjahoncho.or.jp/ |
包括する神社数 | 約8万社 |
神社本庁は、伊勢の神宮を本宗とし、昭和21年2月3日に全国の神社の総意によって設立された団体です。現在約8万社の神社を包括する団体として、包括する神社の管理や指導を中心に、日本の伝統や文化を守り伝える活動を行っています。事務所は東京都渋谷区で、明治神宮の隣にあります。
ちなみに「本宗(ほんそう)」というのは、神社本庁の統合と信仰の共通を象徴して特別の敬意を表現した言葉とされています。これは位の高さや権力といった意味合いではなく、神社本庁に包括される全ての神社が同じ方向を向くための、「信仰の象徴」「敬意の対象」……簡単な言葉に当てはめるなら、”道しるべ”といった解釈が近いのではないかと思います。
「庁」という文字を見て官公庁などの行政機関を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、そういったものではありません。神社本庁は、日本の宗教法人法において「包括宗教法人」に分類される団体。つまりのところ、宗教法人なのです。
各都道府県にある「神社庁」を知っている方は、神社庁の総本山が「神社本庁」なのだと勘違いしてしまう方も多いと思いますが、それも違います。各都道府県の「神社庁」はあくまでも神社本庁の「地方機関」であり、法律上「神社本庁」と「神社庁」は対等であるとされています。
神社と神社本庁の歴史
神社(神道)と神社本庁の歴史を見てみましょう。
年 | 月日 | 出来事 |
昭和20年(1945年) | 8月14日 | ポツダム宣言の受諾 連合国軍総司令部が日本改造に着手 |
昭和20年(1945年) | 12月15日 | 「神道指令(国教分離指令)」の発令 これにより、国家神道の廃止や政治と宗教の徹底的分離などが指示された |
昭和20年(1945年) | 12月28日 | 「宗教法人令」勅令 |
昭和21年(1946年) | 1月23日 | 大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の民間三団体が中心となって「神社本庁設立に関する声明」を発する |
昭和21年(1946年) | 2月1日 | 神社関係法令の廃止と内務省神祇院の解体 |
昭和21年(1946年) | 2月2日 | 宗教法人令改正 これにより、神社が宗教法人に加わった |
昭和21年(1946年) | 2月3日 | 神社本庁が発足 |
昭和26年(1951年) | 4月3日 | 「宗教法人法」の制定 |
昭和31年(1956年) | 5月23日 | 神社本庁が「敬神生活の綱領」を示す ※氏子・崇敬者の教化・育成につとめるなどの行動指針が書かれた実践綱領 |
昭和55年(1980年) | 7月1日 | 神社本庁が「神社本庁憲章」を施行 |
神社本庁の歴史は、ポツダム宣言の受諾から追っていくとわかりやすいと言えます。終戦後、連合国軍総司令部による日本改造の一環として国家神道の廃止などが行われ、政治と宗教が完全に分離されました。
その後も宗教に関する改造は続き、神社に関する事務処理や神官・神職に関する事項を取り扱っていた国家機関の神祇院も解体されてしまいます。
それまで神祇院が行ってきた役割の後を引き継ぐ民間団体として、「大日本神祇会(全国神職会)」「皇典講究所(神道の研究や教育を行っていた機関)」「神宮奉斎会(伊勢神宮の崇敬団体)」の三団体が中心となり、全国の神社関係者の総意で誕生したのが神社本庁です。
参考:文化庁 宗教年鑑 令和3年度版(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r03nenkan.pdf)
参考:文化庁月報 平成25年9月号(No.540)(https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2013_09/special_03/special_03.html)
神社本庁はどんな活動をしているの?
神社本庁は「敬神生活の綱領」を行動の指針として、以下のような活動を行っています。
- 神社神道の宣布
- 祭祀の執行
- 氏子崇敬者の教化育成
- 神宮の奉賛と神宮大麻の頒布
- 神職の養成
- 図書の発行頒布
- その他神社の興隆を図るために必要な活動
引用:神社本庁のご案内(jinjahoncho.or.jp/)
1~7の項目を見てみると、包括する全国約8万の神社の管理や神職の指導・教育から祭祀の執行だけではなく、図書の発行やイベントを通した日本の伝統・文化の伝承や保存などにも力を入れていることがわかりますね。
参拝者の多い大きな神社と協力して過疎地域の神社や小さな神社を護ることは神社本庁の大きな役割のひとつです。しかし、みなさんも知っている通り神社は宗教的な象徴としての役割も大きくあります。時代によるものもあるかもしれませんが、本来の宗教としての伝統的な歴史や考え方・あり方、信仰を逸脱してしまった神社が出てしまった際に、それを正しい方向に軌道修正できるよう指導するのも神社本庁の役割なのです。
「敬神生活の綱領」は神社の教義ではありませんが、神社本庁の基本姿勢として大切にされているものです。
神社本庁が進める「過疎地域神社活性化への取り組み」
ここでは、神社本庁が行っている「過疎地域神社活性化への取り組み」についての一部を紹介していきたいと思います。
[参考:jinjahoncho.or.jp/category/revitalization]
神社振興対策のモデルとなる神社の指定
現在社会問題にもなっている少子高齢化の影響は、神社にも及んでいます。神社本庁では、昭和40年代から神社振興活動のための調査活動を行い、昭和50年代には対策のモデルとなる神社を各都道府県に設定しました。
平成28年からは新たに「過疎地域神社活性化推進委員会」が発足され、「過疎地域神社活性化推進神社」と「過疎地域神社活性化推進拠点」のふたつを神社本庁が指定しています。
それぞれの神社がどのような活動を行い、どのような結果や問題点があったのか、支出はどのくらいだったのか、などといった詳しい情報も見る事ができます。神社本庁では設定したモデルの神社がどのような取り組みを行い、どのような成果を上げているのかといった情報を吸い上げ、他の地域の神社を含む全ての人々に紹介しています。
地域の神社がどのような活動をしているのか、見てみましょう。
催し・イベントの開催
[画像:神社本庁公式サイト]
例えば、東京都東久留米市にある南沢氷川神社のページを見てみると、「第1回氷川落語会」という催しを開催していることがわかります。
さらに詳細のページでは、催しの詳細や経費、成果、それから今後神社振興対策のために同じような催しを行いたい神社へのアドバイスも記されています。
外部との連携
[画像:神社本庁公式サイト]
こちらは群馬県高崎市の八幡宮です。新町商工会青年部と新町青年会議所の若者向けに町の歴史に関する勉強会を開催しています。
神社は古くからその土地の歴史に深く関わっているため、歴史を学ぶ場合には切っても切り離せない存在です。神社が主催した歴史勉強会は、その土地に住む人々にとっては自分や祖先のルーツを巡る時間になったのではないかと思います。
歴史の勉強会はとても好評だったようで、第二回、三回と開催されたようですよ。
まとめ|神社本庁は包括する神社の管理や指導を中心に、日本の伝統や文化を守り伝える活動を行う宗教法人
神社本庁は神祇院の後継的な存在として昭和21年(1946年)に発足された包括宗教法人です。現在、包括している神社は約8万社となっており、これは日本の神道系包括宗教法人として最大の規模と言えます。現在の事務所は東京都渋谷区代々木、明治神宮の隣にあります。
包括している神社の振興や境内の整備、神社全体規模の広報活動のほか、伝統文化の継承や神職の教育などが主な活動内容となっています。
また、過疎地域にある神社や、小さな神社の活性化を進めることも神社本庁の重要な役割のひとつです。各都道府県に「過疎地域神社活性化推進神社」と「過疎地域神社活性化推進拠点」を設定し、様々な活性化のための取り組みを推進しています。
この記事へのコメント
拓郎
美咲
また、神社本庁が行う祭礼や儀式などは、多くの人々にとって身近なものであり、日本の文化や歴史に触れる機会となっています。神社本庁の活動は、神道に関心のある人々だけでなく、日本文化に興味を持つ人々にとっても、大変価値あるものと言えます。
山田優